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薬師瑠璃光如来(秘仏) |
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白毫の 光を花にかざし寺 詣れる人を 平等にして |
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慶雲二年(七〇五)、法道仙人により開基。本尊は法道仙人が天竺から伝えらた薬師如来。眉間の白毫から神々しく威光を放っていたので「白毫寺」と名付けられた。
また、後に第三世の天台座主となった慈覚大師円仁が入唐求法から帰朝の際に白毫寺を訪れ、周囲の山並みが唐の五台山に似ているとことから山号を「五台山」と命名(後に五大山と改称)。持ち帰った密教法具を伝えた。
鎌倉時代には七堂伽藍が建ち並び、南北朝時代に入って赤松貞範など地元領主の庇護のもと、九十三坊を擁する丹波屈指の名刹として隆盛を極めたが、織田信長の丹波攻略に伴い、天正八年に明智光秀率いる軍勢によって焼き討ちに遭った。しかし、人々の厚い信仰に支えられて立派に再興し現在に至る。
境内には“心”の字をかたどった大きな放生池があり、中央に架かる太鼓橋の下には数百尾の錦鯉が群れる。太鼓橋を含む“はん池式庭園”のほか、「陰陽の庭」といわれる“池泉式庭園”や“築山式枯山水庭園”など寺域全体が庭園に囲まれ、静寂で凛とした空気が千古の歴史を感じさせる。
また、境内の木々や花々は四季を通じて参詣者の目を楽しませてくれる。四月の桜をはじめ、五月の藤やセッコク、秋の紅葉などが見所。特に五月の初旬に咲く“九尺藤”は見事で、全長一二〇メートルの藤棚から一五〇センチ近くに伸びた無数の花房がシャワーのように垂れ下がる姿は圧巻である。
寺宝として、南北朝時代の丹波の領主であった赤松貞範を供養する法篋印塔、密教法具の五種鈴、五大明王尊図、源氏物語の屏風などがある。 |
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