第1部 寺院大図鑑 004頁 掲載
宝積山(ほうしゃくさん)
能福寺(のうふくじ)
 ー京都青蓮院門跡 旧院家ー
住所
〒652−0837
神戸市兵庫区北逆瀬川町1−39
 
連絡先・URL
TEL 078−652−1715(代)
FAX 078−652−1731
メール hzt03631@nifty.ne.jp
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御本尊
医王薬師如来立像(伝・伝教大師御作)


御詠歌
新西国観音霊場第23番 
ただ法の 宝を積みてはるばると 運ぶ歩みの 楽しかりけり

福原西国霊場第32番  
うえもなき 七つの宝積む山に いるこそ人は 楽しかりけれ


縁起
 平安時代、桓武天皇の勅を奉じて唐に留学された伝教大師最澄上人はその帰途、延暦二十四年(805)兵庫和田岬に上陸された。当地の庶民は大いに喜び御堂を建てて教えを請うた処、大師がご自作の薬師如来像を安置して国の安泰、庶民の幸福を祈願して能福護国密寺と名付けられた、大師のわが国最初の教化霊場である。治承四年(1180)平清盛公福原遷都の時、平家一門の帰依により七堂伽藍を完備して福原五山第一の勢力を誇ったと、源平盛衰記等類書に記述されている。清盛公が剃髪した寺であり、薨去後遺骨を埋葬した菩提所である。当寺は江戸時代初期より明治維新迄二百数十年に亘り京都青蓮院門跡の「院家」を勤めた。院家職は明治初年、皇室典範の制定により廃止になったが「宮門跡」の旧院家の格式を今に留める。明治二十四年(1891)五月、身丈三丈八尺(8.5米)重量三千貫(11屯)の青銅造毘盧遮那佛を建立、奈良鎌倉と並ぶ日本三大佛に数えられ市民に親しまれ、海外にも知られていたが、昭和十九年五月金属回収令により解体供出された。
 平成3年(1991)5月、当山檀徒、市民、企業等15000余名の浄財により像高11米、重量60屯の第二代大仏が再建された。。
 現在の本堂は京都東山の月輪御陵の拝殿「月輪影殿」を昭和二十八年九条家より拝領移築したもので、歴代天皇の行幸参拝された由緒ある建造物である。境内には平清盛公の墓所「平相国廟」をはじめ歴史上の多数の供養碑、記念碑等々がある。
 又、当寺には附属学術研究所「能福寺文庫」があり、近世欧州に於ける宗教と天文学に関する古刊貴重本を蔵する。
 【参考】院家とは、天皇、親王(皇子)が門跡にご就任されるが、親王さまは幼少でなられる場合が多い。このように幼年の親王さまに、仏教のこと、礼儀作法、学問、文芸等の教養を教授して差し上げる師範役を院家といい、門跡寺院は、二、三ケ寺院家を持っている。門跡がご病気や空位の場合、門跡公式代理を勤め、朝廷公認の役職である。又、幕府に対しても公然と対応出来る地位にあった。青蓮院は門跡の中でも最も格式の高い「宮門跡」として仏教界に君臨した、と「広辞苑」に見える。




年中行事
1月 1日  修正会
1月18日  初観音会
2月  初午祭
3月21日  春季彼岸大施餓鬼会
5月 9日  大仏尊大法会
8月16日  盂蘭盆大施餓鬼会
9月23日  秋季彼岸大施餓鬼会
11月(不定)  十夜法要
12月31日  除夜の鐘
地図

交通機関
JR兵庫駅南東500m徒歩10分
タクシー JR兵庫駅又は神戸駅よりワンメーター
 
 
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