第4部 寺院大図鑑 242頁 掲載
醫王山(いおうざん)
安養寺(あんようじ)
 
住所
〒671−2201
兵庫県姫路市書写2153の1番地
 
連絡先・URL
TEL 079−266−1080
FAX 079−266−1098
メール iouyama.6610@nifty.com
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御本尊
薬師如来


御詠歌


縁起
当山は、天禄元(970)年に性空上人の開基。(飾磨郡誌) 宝永六(1709)年から宝暦六(1756)年にかけて、清岩院(清水氏)、貞芳院殿(奥原氏)、圓解院殿(奥原氏)、軽雲院(清水氏)等の墓石が北垣内2153の1番地に建立。また宝暦六(1756)年、桑原東野が著わした「播州書写山一見記」には、「醫王山安養寺西坂麓に在り」と記載されており、これらのことから、この当時、現兵庫県立大学構内に当山が存在したことがわかる。
 明治四(1871)年、太政官より上知令が出され、現安養寺のある土地は官有地となる。(太政官布告第四号) また、廃寺となった建雲山観音寺(観音庵)の田畑、山林その他の諸品一切を書写山より書写村の手を経て寄附を受ける。廃寺となった観音寺(観音庵)の本尊は、里俗試の観音といい、書写山圓教寺の如意輪観音菩薩と同木同作の仏像であると記載。(飾磨郡誌)
 明治九(1876)年、元観音寺(観音庵)を改築。内陣の向背及び天井等は元西坂本村天満神社の境内にあった長涌山福泉寺の釈迦堂を移したもので、世にいわゆる血天井として血痕のあるものである。(飾磨郡誌)
 明治二十五(1892)年、安養寺を元観音寺(観音庵)跡に移し、村内の安養寺境内にあった薬師堂を合祀した。(飾磨郡誌)
 大正三(1914)年、本堂を増築。(飾磨郡誌)
 大正十(1921)年、本尊薬師如来(坐像三尺)木造、由緒不詳。境内二百十四坪、墓地二十七歩、田二反二十一歩、畑二反二十六歩等と記載。(天台宗寺院大観)
 昭和二十三(1948)年、境内に書写保育園開設され、本堂にて保育開始。(書写保育園五十周年記念誌) 平成十五(2003)年に、同園は書写2481番地へ移転改築された。
 平成十七(2005)年、安養寺本堂、庫裡の解体修理に入る。平成十八(2006)年3月末本堂、庫裡完成予定。




年中行事
地図

交通機関
JR姫路駅より神姫バス「横関」経由、書写西住宅行に乗車約30 分。 「西坂」停留所にて下車。北へ徒歩3分。 書写山西坂登山道登口に安養寺がある。
 
 
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