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薬師如来 |
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いにしへの 鶴の林に散る花の にほひを寄する 高砂のかぜ |
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当地に隠棲していた高勾麗僧恵便の教えをうける為、聖徳太子が木の丸殿に来られ、太子16才のとき四天王寺聖霊院を建てられたのが当寺の始まりであると云われる。また大目身人部春則が太子の遺徳顕彰の為に堂塔伽藍を建立した。慈覚大師円仁が本尊薬師如来の自刻と堂塔修復をされ、天台宗に属す。次いで鳥羽天皇に勅願寺と定められ、鶴林寺の勅額を賜り、現在の「刀田山鶴林寺」となった。室町時代には寺領25,000石、自坊300坊、楽人数十名をもつ全盛時代を誇ったが、秀吉の攻略、江戸幕府の弾圧などにより寺領117石、自坊8坊に衰え、明治の廃仏棄釈による法難にあう。現在、境内には県下最古の木造建造物である国宝・太子堂、本堂をはじめ重要文化財指定の常行堂・鐘楼・行者堂・護摩堂など十六棟が建ちならぶ。また寺宝については国指定重要文化財三十八点を含め二百余点を蔵す。周囲の鶴林寺公園とともに、サツキ、藤、ショウブ、沙羅、菩提樹など四季折々の花が楽しめる。新西国第二十七番・聖徳太子霊場第二十七番・西国薬師霊場第二十二番・関西花の寺霊場第九番の札所であり、俗に刀田の太子や西の法隆寺などと称される。 |
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