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不動明王 |
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いにしえの 比叡は東塔北谷の
不動の威力(いりき) いま六甲(むこ)の里 |
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当山はもと宝乗院と号し、比叡山延暦寺東塔北谷の一院であった。地圓和尚(寛永二年寂)を第一世と為し、その世譜は江戸年間に連綿と続いたが、明治二年十二月朔日の火災で堂宇を焼失した。本尊不動明王・脇士二童子は火災の前日幸いにも隣の安禅院に移されていた為被災を免れたが、誠に奇瑞というべきで、この間の事情は不動明王台座裏に墨書された宝乗院第二十五世慈常和尚による明治三年の銘文に明らかである。明治三十八年恵玄和尚、宝乗院住職拝命、兵庫湊川に移転再興、信州善光寺御分身一光三尊阿弥陀如来を請来し、大正八年寺号を宝乗山善光寺と改称した。昭和十五年に恵能和尚が現在地に移転、昭和五十一年宝乗院再興七十周年を期に、比叡山麓坂本町の旧宝乗院里坊跡に安置されていた本尊不動明王(藤原時代)脇士二童子(鎌倉時代)尊像を奉迎遷座した。本尊不動明王脇士二童子の三尊は兵庫県指定重要文化財である。
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