第5部 寺院大図鑑 298頁 掲載
龍岳山(りゅうがくさん)
巖山寺(がんざんじ)
 
住所
〒669−6832
兵庫県美方郡新温泉町飯野300−1番地
 
連絡先・URL
TEL 0796−92−0294
FAX 0796−92−2289
メール ganzanji@yumenet.tv
ホームページhttp://www.yumenet.tv/ganzanji/

御本尊
阿弥陀如来(巖山寺) 地蔵菩薩(地蔵堂)


御詠歌


縁起
比叡山は横川、鶏足院末であったが、現在は天台宗延暦寺に属している。
 当寺の詳細は明らかではないが、出雲国千土浦の海辺より、一大竜王が、六道能化大悲地蔵尊と負い奉り能化菩薩に告げ、一宇を建立したと言われている。
 人皇五十六代清和天皇貞観年中(西暦859年〜879年)に王子の玉体平癒の祈願の勅を承り、七日七夜祈念奉願し御利顕ありて全快し給う。王子鳳輦をまげて当山に臨幸せられ、南無大慈大悲六道救世地蔵大権現の勅語を授け、公田十六町歩、御供料寄進賜り、これを機縁に菊の御紋章も使用するに至った。
 時の座主、長慶上人(大日本仏家人名辞書)の徳を慕われ、山陰道巡錫の砌、慈覚大師(円仁)始めて当山に御滞在になられ、地蔵尊(胎内仏)を製作(現存)、御正筆「巖山寺一寺額」(現存)を御自作なさり、その後、龍岳山山腹を中心に、峯山寺・常楽寺・大谷坊・本覚寺・大乗坊・宝城院・宝葉院・宅宝院・明王院・龍行院・巖山寺・地蔵院等、十二ヶ坊の寺院が建ちならび潅頂の道場として隆盛を極めた。
 天正九年(西暦1581年)六月、太閤秀吉が因州方面遠征の折り、当地を通過の際、寺院に火を放ち、寺領をも没収し焼失する。
 寛永年中(西暦1624年〜1643年)、妙覚院快洒法印が一宇を建て巖山寺と称し、中興第一世となる。天明三年(西暦1783年)、豊岡藩主に寺領報告した記録によると、「境内地七町、五町の除地、抱地十一石二斗三合の田地、納米四石五斗四升五合、寺内僧三人、寺男二人、檀家数四百十三戸」とあるが、天保五年(西暦1834年)七月十一日、村内より出火し大火に見舞われ、建築、諸記録など焼失する。
 現在の本堂は、嘉永三年(西暦1850年)三月三日、檀信徒集結を注ぎ、竣工落慶の運びとなり今日に至っている。七五〇年ほど記録なく不詳。
 その間、千有余年の長きに変遷興廃あれども、慈覚大師、長慶上人の光明赫々と放ち給い、往古は二州三丹遠近の諸候人を始め、善男善女の現世安穏、後世安楽を祈り参詣者が後を断たなかったと言い伝えられている。
 今日でも、毎年八月二十四日地蔵盆に於いて、護摩供を修し平安を祈り奉納相撲が執行され、山上では静山の中にも心を癒すものが残っている。(正保元年七月由来記書より引用)
 昭和五十三年に古銭ばかりで作られた、総丈2メートル32センチ、重量150キロの聖観世音菩薩が御奉納者によって入仏となりおまつりしてあります。
 本堂の襖絵は立脇泰山先生の描かれたものです。




年中行事
  2月15日  涅槃会
  5月 5日  花まつり
  8月24日   地蔵護摩供
  8月26日  戦没者慰霊祭
 11月23日  天台・伝教両大師講
地図

交通機関
JR山陰本線  浜坂駅下車全但バスにて湯村行き20分、乗り換えて飯野行10分
自動車 
 姫路方面より播但有料道路和田山インター下車国道9号線鳥取方面へ湯村温泉まで
 約55キロ湯村温泉より飯野まで5000m
 
 
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