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薬師如来 |
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播磨西国観音
ただ頼め 仏の誓い増位山 まいる心のたのもしき身を
薬師霊場
増位山のぼりてみればありがたや 瑠璃の薬をあたえまします |
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増位山随願寺は聖徳太子が高麗の僧慧便をして建立させた播磨最古の名刹である。その後、行基並弟子徳道により諸堂を建立し、国土安穏を祈願するところとなった。初めは、法相宗であったが承和元年、天台宗となり、増位山随願寺医王院の勅号を賜った。朝廷の信仰厚く、宇多、白河、後醍醐三帝の御臨幸された勅願寺である。七堂伽藍に三十六坊を有し、三百人におよぶ寺待がいたというが天正元年(一五七三年)別所長治の兵火に会い、全山鳥有に帰した。現在の本堂は寛文八年(一六六八年)榊原忠次公によって建立されたものである。榊原家の菩提寺として五百石の寺領を有し、播磨地方の大寺として栄えた。 本尊は薬師如来座像で県文化財で毘沙門天立像は国指定重要文化財である。本堂、奥之院、経堂は県指定文化財、鐘楼、榊原忠次公墓所、唐門は市文化財に指定されている。俳人千山の墓所、芭蕉翁の蓑と笠等もあり俳界に有名である。二月十一日の追儺会鬼追式は多数の参拝者で盛大である。
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