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第3部 |
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寺院大図鑑 188頁 掲載 |
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妙見山(みょうけんざん) |
應聖寺(おうしょうじ) |
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〒 679−2217 |
兵庫県神崎郡福崎町高岡1912 |
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TEL 0790−22−1077
FAX 0790−22−6133
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聖観世音菩薩 薬師如来 |
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み仏をたよりてまいる應聖寺 山の緑に 法(のり)の風ふく |
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往昔からの古事・伝承に基づくと、当山は天竺の高僧法道仙人によって、白雉年間 (六五〇〜六五四)に開基されたと伝えられる。一方、『應聖寺縁起』(旧版『福
崎町史』『板坂村史』掲載)等によると、鎌倉時代中期、人皇第八十九代亀山帝の 御宇文永二年(一二六五)十一月、祐運大徳によって創建されたとある。また、御本尊の聖観世音菩薩は、もとは平景清公の念持仏であり、当時世に聞こえ
た霊像であったことから、それを聞き及びし南北朝期の播磨守護職赤松則祐公が、 当寺再興の為に都より遥々奉迎したものと伝えている。その妙なる霊験殊に顕著な
るゆえに、妙顕山とも妙見山ともいう山号の由来となったという。
正平六年(一三五一)、赤松氏祈願所として再興された当時の様子を『應聖寺縁起』 に尋ねると、「誠に台門の古刹として、往時は堂塔伽藍軒を列ね、寺観の美は法門
の儀標として、衆庶の膽仰する所なり云々」と伝えており、天台宗門の古刹として 、堂塔伽藍の秀麗さにおいて、一際異彩を放っていたことが知られる。また、江戸時代には、徳川将軍家三代(秀忠公・家光公・家綱公)の回向と御位牌の
安置が許され、しかも姫路藩主が姫路城主歴代尊霊の回向に参拝する特別な格式を 有する寺院であった。それ故であろうか、姫路藩主酒井公ゆかりの茶道具類も残さ
れている。更に、当寺は往昔より、神西郡の主格、高岡郷にあり、住職は末社十社をもつ一宮 神社の別当職を兼務していた。およそ、三百年前に始まった一宮神社御宝前での大
般若転読会は、春秋二回、近隣寺院出仕のもと、今もなお続けられている。
現在の伽藍は、明治元年落慶、大正十三年改築の本堂及び庫裡、昭和五十四年再建 の当寺奥之院である祈願堂、並びに平成十三年落成の開山堂及び茶室不動庵が整備
されている。また、本堂と書院の裏手に連なる庭園は、江戸初期の石組をとどめ、 池泉観賞式の名園として名高く、「名勝應聖寺庭園」として県指定文化財に指定さ
れている。六、七月の沙羅の開花期や、秋の紅葉時には、数多くの来訪者で賑わう 。
尚、当寺は通称「沙羅の寺」として知られ、関西花の寺第八番札所であり、また、 播州薬師霊場会第十三番札所で霊場会の事務局でもある。
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1月1日〜3日 |
修正会 |
2月第1日曜日 |
節分採灯大護摩鬼舞法要 |
2月15日 |
涅槃会 |
3月彼岸結願日 |
春季彼岸会 |
5月8日 |
花まつり会 |
6月中旬〜7月中旬 |
沙羅まつり |
8月15日 |
盂蘭盆施餓鬼会 |
9月彼岸結願日 |
秋季彼岸会 |
11月24日 |
天台大師会・大根焚き・もみじ祭り |
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JR福崎駅から北西約四キロ。徒歩約六十分。タクシー約八分。
車の場合、中国自動車道、播但連絡道共に、福崎IC・北ランプを降 りて、県道(23号)三木山崎線を西(山崎方面)に約三キロ、西治交差点を北に約二キロ、長野橋北詰交差点を西(左)に約二キロ。 |
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