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十一面観世音菩薩 |
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救わんと 大悲のかげは 西よりも 照らす 東の岩谷寺かな |
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五臺山の縁起は古く大化年間、法道仙人の開山による霊場であります。この山は五層の岩盤より成っており、その形が中国の五臺山によく似ているとの文殊菩薩の霊告に因んで「五臺山」と呼び、山の東面の巌窟に東流一代の聖教を納めた鎮護国家の道場を志すところにより「東窟寺」と称することになったと伝えられています。
永く修験行法の道場として栄えた後、明徳年中(15世紀初頭)に、比叡山の永盛法印により天台宗風を伝えられました。戦国期に最も栄え、千手堂、薬王堂等四十九院七堂伽藍の堂宇を誇っていたとされていますが、明智光秀の兵火にかかり悉く焼失しました。しかし、奇跡的に御本尊と御脇立はその火を逃れ、その後は、篠山藩主の御祈願所にもなる等、再興されました。明治十八年に観音堂を雷火により焼失し、本堂も山火事により焼失しましたが、その後の檀信徒の御奉仕により再興し、現在に至っております。
本坊は御本尊阿弥陀如来、御脇立観世音、大勢至の両菩薩を奉安しております。祈願道場となっております観音堂は、御本尊秘仏十一面観世音菩薩、御脇立の不動明王、毘沙門天王、並びに室町時代作の薬師如来等をおまつりしております。古くから晦観音として、毎月末にお参りすれば財禄を授かる(小遣いに不自由しない)との言い伝えがあり、地元では、「岩谷の観音さん」と親しまれ永く信仰されています。 |
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