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十一面観世音菩薩立像
(明治34年古社寺保存法により国宝、昭和25年文化財保護法により重文) |
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のちのよも いまもたのまんふたかたの こおりにくさのまくらしつつも |
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天平九年行基菩薩の開基九品山極楽寺と称し二院一坊を有していた。
斉衡三年(857年)慈覚大師の上足作善上人当地に遊化され御本尊の霊像を感得され清和天皇に「大海に宝山あり宝樹華果荘厳す」と奏上申し上げたところ、「観音儀軌道場観地結金剛墻の中にある山境に合う霊域に観音様の顕現瑞現は瑞祥限りなし」と讃歎の余り勅使を立て佛性常住の潅頂道場なるを以て相應峰寺の号及び圓通殿の額を賜う。是れより寺号を改め観音山相應峰寺と称す。
尋て延喜二一年境内除地允許を蒙り諸堂塔を建立し長久元年には廣沢流の密潅を伝え、十二僧坊と数多くの堂塔を有するに到った。
天正年秀吉鹿野城の攻防に罹る兵火により御本尊及び数点の寺宝を残したのみで全山焼失した後慶長年間領主山崎甲斐守の発願により本堂其他の再建をして畧現在の状況に到る。
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