第4部 寺院大図鑑 276頁 掲載
長慶山(ちょうけいざん)
今念寺(こんねんじ)
 
住所
〒671−2412
兵庫県姫路市安富町名坂204
 
連絡先・URL
TEL:079−066−2240

御本尊
薬師如来


御詠歌


縁起
当山は弘安三庚辰年に栂尾妙恵上人の開山という。上人諸国行脚の折、安志川の流れに仏頭を見出され、これを検すると、行基菩薩作の薬師仏と判明したので、その地に一院を建立、仏頭に肩胴手足を加えて奉安されたと伝える。本尊薬師如来は秘仏となっているが、専門家の調査では、鎌倉期の特徴を備え、中央仏師の製作に依るもので、文化財調査の対象となり得るものといわれる。
 この薬師如来は「両薬師」として信仰され、旱天には近在の農家がこぞって「雨乞い」をする伝統がある。
 寛文五年(1665)藩主小笠原信濃守人部に際し、旧知より藩陣屋(現安富中学校)北隣に寺塔を移し、鬼門除けの寺となった。
 裏山の墓地内にある「石造層塔」には弘安の年記があり、兵庫県文化財に指定されている。
 寺の南西に安志稲荷で知られる加茂神社、国重文不動明王の光久寺等がある。
 弘安二年(1280)栂尾山妙恵坊の上人、当地にて教化弘法の時、安志川滌源より木仏の頭首流漂し来るを取上げ見給ふに、薬師仏の頭首にして行基菩薩の作なる事を思臆し、祈念し給えば仏首の白毫より光明赫奕として上人を照らし給う。上人此地を仏法有縁の地なるを洞察して、一宇を建立し、頭首に肩胴手足を加えて本尊として安置した。これが今念寺の開基なり。近隣の人々大いに随喜し、互いに誘導して檀越に加入するもの千余戸の多きに及びて威徳盛熾たること炳焉なり。然る後天正頃より哀頽の相日々に増倍して許多の相倫相互に離転して、真宗に改宗し僅かに三十四戸に減残せり。その後享保年間(1716〜1736)、小笠原信濃守築城の頃、城北の小丘に地を開き、堂仏を遷座し寺院を運移し、長慶山今念寺の称号を此の地に継続せしより爾来縺綿として盛衰沿革復権旧等更に無之也。




年中行事
8月17日 施餓鬼会
12月14日 天台大師会 
地図

交通機関
JR姫路駅前より神姫バス山崎行に乗車「安志」下車 北へ一km安富中学校北隣が当山
中国縦貫山崎安富インターで降り東へ国道二九号線4q 寺の下に専用駐車場(五十台可)利用
 
 
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