|
藥師如来座像 |
|
ありがたや あさひかがやくおしほやま
のりのみてらに まいるみなれば |
|
当寺は、書寫山圓教寺の末寺で、長保年中(999〜1004)性空上人の開基による。慶長年中(1596〜1615)に書寫山の僧快倫により中興される。寛文四年(1664)修禅房実恵再建、更に享保七年(1722)功徳院霊獄が方二間の薬師堂に改築して昭和四六年(1971)に至ったが腐朽が甚しくなり同年現在の位置に再建した。本尊は、薬師如来座像(長一尺・作者不明)。脇待は、日光・月光・十二神将である。
所在地は、宮置字中村であるが、この中村の十割近くの家が、姫路の浄土宗善導寺の檀徒である。住民から見れば、他宗の寺であるが、この山下姓は、山(書寫山)の僧が、圓教寺の坊から、山麓へ下り、法界寺の住持になる時に、この僧について下山してきたのが、この家の始まりとされている。故に山下家という。
|
|
|